●転職のつもりで声優になろうと思ったら・・・

 高卒サラリーマンだった僕は将来のことを考え、何か手に職をつけようと会社を退職し、職人として捉えていた声優の養成所に入門。するとそこでは俳優として舞台の勉強をすることに…。回り道をしていると思われても一所懸命取り組むことで意外に近道が開けてくる?? 行ったり来たりをくり返し、それでも一歩ずつ進んで行く…。役者の道は一日にしてならず(T_T)ですね。

俳優修業

 声優の養成所に入ったことで始まった俳優修業。養成所時代は、岸田國士など日本の文学作品をはじめ、アメリカンコメディやギリシャ悲劇、朗読劇など様々なタイプの芝居に取り組み、三年間で8作品を発表。ほとんどの作品で主役を務めてよほど自信がついたのか、新人の頃は少しとんがっていたかも。。。

 劇場での初舞台は2001年。シェイクスピア作品「十二夜」のオーディションで、ヒロイン・ヴァイオラの相手役となるオーシーノー公爵役に抜擢。その後、声優事務所に所属するも、俳優 穂積隆信氏の付き人としてさらに下積みをすることに……。

 三年間の下積み時代には、華やかな大劇場の商業舞台でお師匠さんのお世話をしながら、役者として一緒に出演させていただき、時代劇の斬られ役から、主役にからむコミカルな脇役までいろんな役を通して勉強させていただきました。また、芝居の所作や立ち回りだけでなく、衣裳・小道具の扱い方、着物の着付け、カツラ・羽二重の付け方、さらには足袋の洗い方・アイロンの当て方まで、たくさんのことを学びました。

 現在はナレーションの仕事の傍ら、俳優として様々な演劇団体の公演に参加。俳優修業に終わりはない、のですねぇ。。

声優への道

 声優を志したことで始まった役者人生も、気がつけば20数年。アガリ症で人前に立つことが苦手なぼくが、こんなに役者を続けてこられたのは人生最大の謎です。。。そこで、これまでの役者人生を思い出に耽りながら振り返ってみたいと思います。

■とくにやりたいことがなかった十代・・・

 そこそこの成績でわりと健全に育っていた学生時代。素直に育ってはいたものの、将来とくにやりたい事や具体的な夢などは持っておらず、高校はとりあえず学力に見合った都立の進学校に進学。しかし、母子家庭となっていた我が家の経済事情から大学への進学は断念し就職することになりました。
 初めて就職した会社は、ステンレスなどの非鉄金属材料を販売する小さな会社で、ぼくはトラックに乗ってプレス工場などへ金属材料を納品する仕事をしていました。トラック野郎ですね。2トン車だけど(笑) しかし営業も兼ねていたため、社長夫妻から社会のことを――挨拶の仕方から大人のお付き合いの仕方まで、社会人としてのたしなみをたくさん学びました。社長ご夫妻には今でも深く感謝しています。

 

 高卒で就職したぼくは、そのまま会社勤めしていても、収入的にもモチベーション的にも限界があるだろうと思っていたので、とりあえず何年かは一所懸命勤めて社会経験を積み、いずれ何か手に職をつけて職人のような技術職に就きたいと思っていました。しかし具体的に何をやるか、何をやりたいかは依然として定まらず、淡々と仕事をこなす日々が続きました――。

 就職して五年目に入り、そろそろ道を決めて動きださないと……と焦りを感じていたある日、トラックに乗り都内の首都高の渋滞の中をダラダラと進んでいると、「声優募集」という養成所の広告が目に入りました。声優というと、声だけの表現で人を感動させるまさに職人のようなイメージ。貯金もそこそこ貯まっているし、学校があるというならとにかくやってみるかと、声優のことをあまりよく知らないまま腹を決めてしまいました。そして、甘えた環境にいたままでは養成所に通っても身に付かないだろうと、思い切って退職し、背水の陣で声優の世界に飛び込むことにしました。さんざんお世話になった社長夫妻には本当に申し訳なかったですが、とにかく自分で道を拓いていきたかったんですねぇ…(´-ω-`)

■検索エンジンはタウンページ(笑)

 声優についての情報をなにも持っていない僕は、電話帳(タウンページ)で養成所を探してみました。今だったらネットでちょちょいのちょいですね。いい時代だぁ(´ω`*) 問い合わせると、学校案内を送ってくれるというのですが、自分の眼で見てみないとわからない性分なので、ともかく学校をこの眼で見て直接案内をもらいに行くことにしました。

 まずは、例の「声優募集」の広告を出していた水道橋にある大手の養成学校。アニメーターの養成もしているようでむしろそっちがメインのように見えましたが、とりあえず見に行ってみると、学校前に生徒らしき人たちが何やらコスプレ(?)をして屯していました。きっと何かの発表会なのでしょうが、直感的に「自分には合わないか」と思って、そのまま素通り…( ̄ー ̄)

 次に目をつけたのは、勝田(話法研究所)声優学院。「話法研究所」とか「声優学院」とか、どう見ても声優を専門に養成しているようなので、ここは期待できそう――実際、事務局に行ってみると、対応してくれた男性はとても親切で、とても普通で好印象でした。あとでわかったことですが、このときの男性は声優の小西克幸さんで、同学院の卒業生だった小西さんは、新人時代に事務局のアルバイトをしていたんですねぇ。そしてこの一年後には、ぼくがそのアルバイトをすることになるのですが、それはまた後ほど…(*´з`)

 さて、入所オーディションまでは二ヶ月半ほどあったため、しばらくは仕事もせずに遊んでいました(笑) 学校が始まったら当分は遊べないだろうし、そもそもその後どうなるかもわからないし、貯金はあることだし、せっかくなので今のうちに遊んでおこうと。平日休みの友人もいたため週に二度は日帰りでスノボをしに雪山へ行き、家にいるときは発売されたばかりのFF7か麻雀しかしていませんでした。当時付き合っていた彼女は心配していましたが、遊び期間の〆として、北海道に3泊4日でスノボ旅行に行きました。いやこれは楽しかった(≧▽≦)

■じつは極度のアガリ症・・・

 二か月間遊び倒したあとは気持ちをスパッと入れ替え、次の職探しもスパッと決めました。一度は会社員らしい仕事をしようと、都心の通信関係の会社の契約社員に。

 そしていよいよ入所オーディションの日。筆記試験はおもに漢字の読み問題で、予習をしていたこともあってこれは難なく通過。そして実技試験となったときに大問題が……。学院長の前で演技をするときに、緊張しすぎて心臓はバクバク、手足はガクガク……そのとき思い出しました、自分が極度のアガリ症だということを(爆) 緊張を隠すためにとにかくでかい声を出してごまかそうとしましたが、たぶんバレていたでしょうねぇ…。それでも合格できたのは、よほど声が大きかったからでしょうか。学生時代のバスケ部経験や、仕事でプレス工場や倉庫に行ってでっかい声を出していたのが役に立ったのかな?(笑)

 学院長は、アニメ「鉄腕アトム」のお茶の水博士の声を担当していた勝田久さん。温和なお茶の水博士とは対照的にとても厳しい指導をする方で、「声優の世界は優勝劣敗。生き残れるのは志望者のうち一万人に一人。やる気のない者は早く田舎に帰りなさい」の言葉は今も耳に残っています。通常の学校ではありえない指導ですが、この厳しい指導は、自分の道を切り拓こうとしている僕の心を大いに揺すぶりました。”やる気スイッチ”を明確にONにしてくれたんですね(笑)

 また「声優とは俳優の仕事の一つ。マイク前でリアルなお芝居をするということ」という方針により、ここでの三年間は舞台表現の勉強一色でした。覚悟を決めたぼくは何ごとも自ら進んで取り組み、演劇の面白さ、奥深さに惹きこまれていきました。

■初めてのお仕事・・・

 学院に入って半年経ったある日のレッスン後、学院長から呼び出され、ドキドキしながら学院長室へ行ってみると、なんとお仕事の話をいただきました。学院の卒業生で当時ライターをしていた大先輩が紹介してくれたそうで、某大学の紹介ビデオのナレーションと、某RPGゲームのキャラクターボイスのお仕事。まだ勉強を始めたばかりで、どうやってセリフを喋ったらいいのかもわからないのに(笑)

 学院長からは「長く仕事をするうえでナレーションができる(技術がある)というのは大事なこと」とよくわからない激励をされ、まずはナレーションのお仕事へ。

 スタジオは、マンションの一室に設置された小さなブース。ミキシング機材も中に収められているため、ミキサーさん、ディレクターさんと一緒に中に入り、ディレクターさんの席の真ん前に設置してあるマイクにナレーションを吹き込むという、緊張感増し増しの収録現場でした。

 原稿をあらかじめ自分の読みやすいように原稿用紙に書き換え、さんざん練習しまくって臨みましたが、初めての現場で緊張度MAXで、ほぼ素人の超ド新人わたなべ君はガッチガチに緊張して、一文ごとにトチる→緊張が増す→さらにトチる→緊張……という無間地獄に陥っていたのでした(;_;) よく覚えていないのですが、おそらく5~6時間を要して収録を終えたのだと思います。今だったら一時間くらいで終わる原稿量なのに…。

■地獄はつづく・・・

 ナレーション収録の2~3日後、今度はゲームのキャラクターボイスの収録。メインキャラクターには人気声優さんたちの名前が連なっているRPGゲームで、僕のほかにも先輩たちがたくさんキャスティングされていました。そんな中で僕はなんと最後のボス・魔王の役を頂いておりました。あとで聞いたら、勝田の学生さんなら芝居は出来るはずだからと、声の雰囲気だけでキャスティングされたんだそうです。どんだけラッキーだったんでしょねぇ……。

 ところが、ぼくには早すぎたチャンス到来、また地獄の収録となりました。RPGの最後のボスですから芝居としては一番の見せ所。しかし勉強を始めたばかりの僕には表現力が足りず、とにかくラスボス感が出ない。ダメ出しを受けて何度やり直しても、出ない。結局その場で降板となりました。役者としては最大の屈辱ですが、まだ素人同然だったぼくは少しホッとしたりして……。とにかく役者として一生忘れることのできない苦い経験となりました。

■選抜チームでさらに勉強・・・

 お仕事を持ってきてくれた方は学院出身の先輩で、当時はフリーのライターをしていたそうです。勝田の学生なら出来る子がたくさんいると思っていたら結果に愕然、乗り掛かった舟で、レベルを引き上げるために実践的な講義をしてくれることになり、すぐに通常レッスンのほかに選抜クラスが編成されました。これが僕にとっては大きな力となりました。

日本の文学作品に始まりアメリカンコメディ、ギリシャ悲劇など、様々なジャンルで八本ほどの芝居を発表しました。有難いことに最初の一本以外はすべて主役をやらせていただき、おかげで「極度のアガリ症」から「ちょっと緊張しい」くらいまでは改善されました(笑)

■劇団ではなく事務所へ・・・

 学院の発足当初は、優秀な生徒には声優事務所に所属するチャンスがあったそうですが、ぼくが入った時にはそのパイプは廃れていたようです。(そういうことも知らなかったww)そのため卒業後の身の振り方を自分で考えねばなりません。ほとんどの卒業生たちはプロダクションの付属養成所に行くのが常となっていましたが、稀に文学座や青年座などの劇団に進む人もいました。卒業するころにはすっかり演劇に傾倒していたぼくは、劇団に入って演劇を追求していくことも考えましたが、やはり本来の目的を達成するため、声優の仕事に繋がりやすいプロダクションの付属養成所に進むことにしました。

 先生や先輩方に相談し、とくに洋画の吹替で有名だった江崎プロダクションの付属養成所に入ることにしました。もちろん入所オーディションはありましたがなんなく通過。。たぶん、なんなく(笑) 「ここまでやってきて入所オーディションで落ちるようなら、よほど才能が無いんだろうからその時は別の道を考える」と強がっていましたが、合格通知をもらった時はホッとしました(笑)

■声優デビューするも、付き人??

 江崎プロダクション(在学中に社名が変わってマウスプロモーション)の付属養成所では、ほとんどがアテレコ・アフレコの実習でした。演技経験ありの人が集まる養成所だったので、とにかく実践。習うより慣れろ、ですね。在学中からお仕事もけっこうやらせていただきました。そして二年後、見事所属することができました。

 これでバリバリ仕事をやって……とそう簡単にはいきません。仕事は月に一本あるかどうかという状態で、しばらくは悶々とした生活が続きました。そして半年ほど経ったころ、同事務所に所属していた大大大先輩の俳優・穂積隆信さんの出演舞台での付き人を務めることになりました。せっかく声優になったのに、また演劇の道(笑) しかも付き人とは……と思いましたが、どうせ仕事はあまりないし、付き人なんてなかなか経験できないし、急がば回れ、とむしろ喜んでやらせていただくことにしました。楽観主義なんですかね(笑)

■急がば回れのつもりが意外な近道

 付き人といっても役者として少し出番があります。しかし俳優として実績がないので当然端役。それまで主役ばかりやってきたので役作りで苦労することはありません。ここは看板俳優である穂積さんに気持ちよくお芝居してもらうために、自分が目立とうとはせず、付き人として全力でサポートしようと完全に割り切りました。どうやったら穂積さんが気持ちよくお芝居に臨めるか、稽古場ではそればかり考え、ほかの付き人さんの仕事をよく見て、良さそうなものはすぐに取り入れました。

てるてる坊主の照子さん

付き人としての最初の舞台

「てるてる坊主の照子さん」

 ところが、この付き人の仕事が結果的に声優として大きなチャンスとなりました。

 稽古期間中に座組内でちょっとしたオーディションがありまして。芝居のクライマックスに繋がる暗転中に、一分間ほど流れるアナウンサーのMCの声を、若手の中から選ぶということでした。「これはチャンス!」と思うのが新人の心理かもしれませんが、その時のぼくは「声の仕事が得意なはずの声優がこれを落としたら社長に怒られる…」と思いました(笑)

 結果、運よくこの役を射止め、公演の二か月間、芝居の大詰めで暗転の中、ぼくの声が朗々と響き渡っておりました。すると名古屋での公演中、舞台裏で毎日この声を聴いていた座長の佐久間良子さんが、穂積さんに付き従って歩いているぼくの方へわざわざいらして「あなた 声 素敵ね♥」とお声をかけていただきました。「♥」がついていたかどうかはわかりませんが(笑)、嬉しかったのでお言葉の一字一句はっきり覚えています。

 これらの出来事が穂積さんと社長の気を良くしたのか、千秋楽を迎え東京へ戻ると、なんと声優の仕事がごっそり入っていたのです。遠回りになるようなことも腐らず全力で取り組めば、意外な近道に繋がる事もあるんですね。

ナレーションのご用命は所属事務所リベルタまで。

その他のお問合せは、heronabe.825@gmail.com まで。

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